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院長:古川 清暁 の履歴書
経歴
東京都豊島区で歯科医院の末っ子長男として生まれる。
三人兄弟の末っ子で姉2人にいじめられながらおとなしく育ちました。
子どもの頃はとにかく静かな子だったと聞いていますが、自分で思い出すと理屈っぽい子だったと思います。(当時の口癖が「なぜなら…」だった。)
昔から手は器用で実家の診療所に行っては材料で遊び、いろんなものを作って遊んでいました。
小さい頃から虫歯が多く、ほとんど全ての歯を治しています。歯の病気という病気はほとんどなりました。だから、患者さんの痛みは嫌と言うほどわかっています。小学校1年生から柔道を始め、小学校4年生の時には立派な肥満児と化していました。小学校では授業に出た覚えはなく、四六時中屋上でチャンバラごっこをやっていました。
中学校に入り今度は合気道部に入部し3年間副部長として過ごしました。部員は2人…。
高校時代に友人たちとバンドを組んで活動を始めます。勿論、担当楽器はドラムです。いつの間にか、バンドが中心の生活となり、小遣いはすべて楽器へと消えていきました。
進路を決めるとき、私は迷わず歯科医師になることを選びました。それは幼い頃から父の診療所にあふれる患者さんの笑顔を見ていたからです。笑顔を作る仕事。これしかないと思いました。
大学に入学した後もバンド活動は続けていましたが、大学3年生時に仲間たちと学生プロレス団体を立ち上げました。学校側の心配をよそに学園祭では大盛況で、他の学校の学園祭にも出張して試合をする楽しい日々を過ごしました。その団体では代表兼レスラーでしたが、人数が少ないため衣装を変えて一日3試合出場したり、今思えば無茶なことをやっていました。
バンド活動では日本中をツアーで周り(もちろん自腹)、見聞を広めました。そのバンドは僕の国家試験のため解散してしまいました。
肝心の歯科の勉強と言えば、大学在学中から父のもとで義歯を学び、卒業する前から一人前を気取っていました。

大学を卒業後、都内の開業医に勤務しました。
そこでは涙あり、笑いありの楽しい時間を過ごすとともに、患者さんの歯を残す治療を学びました。
歯周病治療が一日のほとんどを占めているため、歯を残す大切さや歯周病はコントロールできるということを非常に多くの患者さんから学ばせていただきました。
この開業医での経験は私の診療スタイルに大きく影響を与え、抜かない削らない治療を特に意識するようになりました。
そして、大学時代の友人と訪れた鳥取県で奇跡は起こりました。
妻との出会いです。
詳しいことはここには書きませんが、運命的に妻と出会い、その翌年には結婚式を挙げていました。
結婚後、私の田舎(失礼)、いや地方都市への憧れもあり、妻の実家のある米子で開業することを決意しました。
開業の土地を探すために何度か米子を訪れましたが、やはり住んでみないとわからない!ということで、住むことは決めましたが、仕事をするところがネットや求人で探してもありませんでした。
鳥取県は一人で開業されている歯科医院が多いため、勤務医の募集はなかったのです。
途方に暮れたところに、勤務医を募集しているところがあるとの情報を得ました。そこは、鳥取大学医学部歯科口腔外科だったのです。
電話してみると面接してくれるとのことで、すぐに鳥取に飛びました。
教授との面接の後、今月の終わりから来てくれと言われ、帰ってすぐに引っ越しの準備を始め、結局妻と会った翌年には鳥取県西伯郡伯耆町の男となっていました。
鳥取大学医学部歯科口腔外科では、癌患者さんから子供の白血病までありとあらゆる全身疾患を持つ患者さんを担当し、治療していきました。そこでも、大事なことは歯を守るということです。抜歯が専門の場所ですが、やはり歯を残すことで人生の質が変わっていきます。定期的なケアで抜歯と言われた歯を何本も残していきました。
そして勿論、親知らずの抜歯やインプラント、歯周外科や手術室での手術まで様々な経験を親切な先生方に学び、行ってきました。
ここでは症例を通して話を聞くことの重要さ、患者さんの気持ちを理解することの大事さを学びました。
様々な経験を積み、いよいよこの素晴らしい鳥取という土地で開業する運びとなりました。
これからも、初心を忘れず、歯を守る治療を鳥取の地で根付かせていきたいと思っています。





